過失致死と危険運転致死の狭間

先日、脇見運転をして保育園児の列に突っ込んで、4人の園児を死傷させると言う非常に痛ましい事件がありました。

この事件、検察は容疑者を業務上過失致死罪で起訴すると言う決定をしました。

これに対して遺族側が「納得できない」との声明を発表し、色々と物議をかもしました。

私個人としては、検察側の見解を支持したいと思います。私も検察の見解が出る以前から、業務上過失致死だと思っていました。

色々と報道番組等でも説明されていましたが、今回の事件は全然危険運転致死の要件に該当してないんですよね。酒を飲んでたわけでもなく、えらくスピードを出してたわけでもない。これを危険運転致死にしようと言うのは、ちょっと無理があると思います。

しかし、遺族はこの説明を受けても納得できないといいます。

それは、もちろんこの事件で子供さんを亡くされたことは悲しいでしょう。私も非常に痛ましく思いますし、可愛そうに思います。

しかし、刑罰が重くなったところで、その子供たちが戻ってくるのでしょうか?

確かに、業務上過失致死と危険運転致死では刑罰の重さが全然違います。前者は5年以下の懲役または禁固または100万円以下の罰金で、後者ですと1年以上15年以下の有期懲役です。

死刑になるならまだしも、有期懲役なら5年も15年も変わらないと思います。むしろ、早く出てきてもらって、民事的な賠償をしてもらう方が遺族としても浮かばれるんじゃないか、とさえ思います。

ただ、これは私が今ごく平穏な状態にいるから吐ける論理だということは自覚しています。もし、自分自身がそのような立場におかれたら、こんな理屈を吐くことは出来ないだろうと思いますが、法とは非常に客観的なものです。それでいて、「感情」というものをあまり重視しません。だからこそ、こういう平時の人間の理屈こそ世間で流れるべきなんじゃないかと思うのですが、マスコミはこぞって「遺族の感情を無視」だの、「被害者損の法律」などと書き立てます。これが、法学生としては非常に気に入りません。

そもそも、検察とは何か。これがマスコミは分かってないような気がします。

検察というのは、「国家の治安や秩序を守るため」に被疑者を起訴し、罪を与えようとするのであって、被害者を救済する立場でもなんでもないのです。国の秩序のために働くのが「検察」という機構なのです。

ところが、どうでしょう。今の世の中、おそらく検察は被害者のために何とか重い罪を与えようとする機関のように思われています。

暴論のように取られるかもしれませんし、悪い言い方だとは思いますが、この事件で検察側に被害者が文句を言うのはナンセンス以外の何者でもありません。むしろ、きちんと説明会を開いた検察は褒められるべきだと思います。

長く刑務所に入ってればそれだけ反省するか、といえばそれは違うと思います。かえって性根を捻じ曲げてしまうかもしれません。

「反省」などという抽象的なことに固執するよりも、民事的な賠償―すなわち「金」に固執すべきだと思います。これは別に、反省を軽んじてるわけでも、「金」ですべてが償えると思っているとか、そういうわけではありません。ただ、どうしても起訴事実を変えられないのなら、すっぱりあきらめたほうが、亡くなった子供さん達も浮かばれると思うんです。

なんとなく、ニュースを見て思ったことを綴ってみました。別に、遺族批判をしたいわけではありません。
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  by crazytigersfan | 2006-10-24 23:31

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